皆さんこんにちは、若干ご無沙汰のぐるっとキッチン編集部Mr.Kです。
前回の投稿から些か間隔があいてしまい申し訳ない気持ちの今日この頃でございます。
次の投稿へ向けて構想を練っていたわけですが、一旦中断!
何故かというと、“今扱うべきテーマ”に出会ってしまったからなのです!(大袈裟)
ところで皆さんはこちらの商品をご存じでしょうか? ↓↓
(公式HPより拝借いたしました)
こちらは「吉田晒®(さらし)」。
そう、その名の通り晒です、「晒がどうしたって⁉」って声が聞こえてきそうです。
世の中に晒は数多あれどこの吉田晒®、そんじょそこらの晒ではありません。
蛍光染料不使用、綿100%、素材・製造・国内加工にとことんこだわった正真正銘の
“メイドインジャパン“。
蛍光染料って、皆さんあまり馴染みのないワードですよね?
天然の繊維は本来黄色がかった白色です(これを生成りといいます)。
商品として世に出る際、その大部分は本来の白をより白く見せるために染料によって染色されているのです!(びっくり)
そこで使用されるのが蛍光染料です。
しかし食品および食品とじかに接する包装材や紙ナフキン等への蛍光染料の使用は食品衛生法のより禁止されていて、脱脂綿やガーゼについても日本薬局方により使用が認められていません。
衣類等の生地なら白ければ白い方がキレイでいいですが、食品に関わる場合はどうでしょうか?
もし食品の製造過程でそれらの繊維が使用されていたとしたら…、
考えただけでゾッとしますよね~😢
そこでこの「吉田晒®」ですが、製造工程において蛍光染料を一切使用しておりません!
その証拠に一般財団法人カケンテストセンターの食品衛生検査指針による検査でも蛍光物質が検出されていないことが認められています。
故にこの吉田晒®は少し黄色がかった白色なのです(生成り)。
まさに安心安全!
外食産業に携わる我々にとってもホントに有難い話です。
そんな素敵な晒を製造販売しているのがこちら↓↓
吉田織物㈱さんです!
吉田晒®はもちろん、業務用厨房繊維製品・タオル・染物・祭礼用品・日東紡績㈱製品・㈱ミューファン製品・ユニチカ㈱製品・帝人㈱製品を取り扱っていて、業務用厨房用品商社、官公庁や各種団体、一般消費者にまで広く販売されています。
そんな吉田織物㈱さんですが、繊維業界と食品製造の現場の現状に何やら提唱を唱えているようです。(気になる)
我々にも関係してくるお話かも…
それなら直接詳しいお話を聞いてみよう!ということで吉田織物㈱さんへ取材敢行です、早速行ってみましょう。
初めて来ましたがとてもキレイな社屋ですね、お邪魔いたしま~す。
今回お話を伺うのがこちらの方↓↓
吉田織物㈱ 齋藤久太専務です!(早速吉田晒®持ってますね、私は普段久太さんって呼んでます、なので今後の表記は久太さんとさせていただきます)。
お話を伺う前にせっかくですから社内を案内していただきましたよ。
ありました吉田晒®、普段会社で見てるヤツです。
倉庫内もキレイに整理整頓されていますね(久太さん曰くまだまだ改善の余地ありとのことです)。
そして包装場も見せていただきました(個人的にとても興味あります)。
ご覧いただいてわかるように、全てが手作業なのです。
しばらく拝見いたしましたが1つ1つとっても丁寧に包装なさっていました。
普段会社で商品を見ていても、まさか手作業で包装されているとは思えないくらいのクオリティです。
これは検針器、この高性能の検針器で僅かな異物も見逃しません!
この包装場を見ただけでこちらの商品の安全性の高さが窺えますね!
会社の中も充分に見せていただいたところで、いよいよ久太さんにインタビューしていきましょう!
工場設立にはなんとあの方が関係していた!
––––本日はお忙しい中お時間をいただきましてありがとうございます。よろしくお願い
いたします。
燕市といえば金属加工が盛んなイメージですが、繊維産業も盛んだったんでしょうか?
久太さん:いいえ、決して盛んだったというわけではありません。ただ古くから米、晒木綿
の産地ではありました。とりわけ「白木綿」は旧吉田町の主要産業として栄え現在まで引き
継がれました。
––––では吉田織物さんの歴史について教えてください。
久太さん:創業は昭和11年です。戦中海軍御用の包帯、ガーゼ等の衛生材料を製造す
る会社として成り立ちました。
そしてかの有名な「山本五十六元帥」から“晒を作ってくれ”のお達しがあり、
工場制機械工業の様式を取り入れた大規模な工場を設立したわけです。
–––––あの山本五十六さんですか?
久太さん:そうなんです、当時は戦争負傷者の治療のために衛生材料は必需品でした。
原料の糸は海軍から支給され、納品は終戦まで続きました。
–––––終戦後は?
久太さん:戦後も家庭において晒は必需品ではあったので商売としてはつながっていきま
した。
ところが時代が進み90年代、バブルが崩壊した頃には晒の需要がどんどん低下していったんです。元々国策会社だったこともあり、国からの資金提供がなくなることを受け、『会社をたたむ』か『自力でやっていくか』の選択を迫られます。
そんな時隣町に目を向けてみたら、金属加工による厨房用品製造がさかんな燕市がありました。そしてその業界にもニーズがある、と感じ、『この業界に晒を売る』ことに活路を見出し、自力での会社継続の見立てができました。
これが現在の吉田織物としての形のスタートです。今から三十数年前の話です。
(公式HPより拝借いたしました)
––––そこで江部松商事ともつながったわけですね、ところで久太さんのこともチョッと教
えてください。
久太さん:関東の大学に進学して学生時代はバスケット漬けの毎日でした。経営の勉強をしていたので、コンサル業を経て行く行くは会社に入ろうと思っていました。18歳の頃には会社を継ぐことを決心していました。
祖父が亡くなって、代替わりの瞬間を目の当たりにしたとき『やってやろう』と思いましたね。晒のように“誰がつかうの⁉”みたいな商品を売っていく、難しいチャレンジがむしろ楽しそう、って思いました。
コンサルの就職活動をしてみたものの、これは何か違うぞ、このまま会社に入ってもつながらないと感じました。そこで父親(現社長)に相談したら、面白い会社を紹介してもらい日本橋の浴衣のメーカーに就職しました。そこでは営業は勿論、商品企画、生産管理、貿易まで全てを経験しました。ただ将来この会社で何でもやっていく、という未来図を描いていたので抵抗感はさほどありませんでした。
20代をそこで過ごしいろんな経験を積んだ後、31歳で会社に入りました。
–––––久太さんが思う現在の繊維業界を取り巻く環境とは?
久太さん:はっきり言ってあまりいいとは言えませんね。業界自体がアップデートされていない、そこにきて昨今の原料高騰、人手不足、職人の高齢化も絡んできてとても悪い環境だと思います。
(公式HPより拝借いたしました)
–––––ともすると“斜陽産業”という声も聞きますが?
久太さん:そうですね、でもこれはこの業界自体の責任でもあるんです。
–––––どういうことですか?
久太さん:高く売ることができないんですよね、恐らくあまり商売がうまくないんだと思います。
値上げを要求せずギリギリの価格で商売をしてきた結果、価格が合わず持ちこたえられなくなり商売をたたむことになってしまう。
かかったコストに対してしっかり値上げの要求をしていればそんなことにはならなかったはずです。それが繊維の業界に感じます。
逆に値上げを意識している人たちは勢いもあるし、継続性があるように思います。
–––––いろいろな現場へ行く機会が多いと思いますが、そのたびに感じることは?また問い合わせはユーザーから直接来るんですか?
久太さん:体感的にはユーザーからの方が多いですね。それには理由があると思っていて、おそらく間に入っている業者では問題解決できないと判断してこちらに直接問い合わせしてきてるんだと思います。
––––––ではそのユーザーはどうやって吉田織物さんに辿り着くのでしょうか?
久太さん:ホームページですね。皆さんご自分で探されているんですね。実際に話してみると、辿り着くまで何か月かかかりました、と。
––––––どのような現場(業種)からの問い合わせが多いですか?
久太さん:やはり食品を扱う現場が多いです。そして皆さん“濾過作業”をどうしたらいいかわからない、と口をそろえておっしゃいます。
–––––昨今食品工場やセントラルキッチンからの問い合わせが多いと聞きましたが、どんなことが理由だと思いますか?
久太さん:あくまで個人的な考えですが、飲食店でその場でものを作ることが難しくなっているのではないか?と思うんです、簡単に言うと“人手不足”です。
こんなものを作ってほしいと食品工場に話はいくが肝心な食品工場も「そんなことやったことがない」となって私のところに問い合わせがくるんだと想像します
多分ですが、最初は資材屋さんとかに相談するんでしょうが、そのフィルターとかネットに食品安全が担保されているかどうか、という問題がそこにあるんでしょうね。そもそも食品用じゃないでしょうから。
でもそれらが食品の現場で実際に使用されているという現実がたしかにあります。部署の担当者レベルで今使用されているものが安全なものかどうかわかっていない、はっきり言ってとても危険な状況ですね。
–––––そこで我々江部松商事に何ができるんでしょうか?
久太さん:私がカッティングエッジで蓄積したノウハウは提供できます。その一方で9万アイテムを扱う江部松さんがその個別案件をいちいちノウハウに叩き込む必要はないと思っています。
「いろんなことができる会社です」ということがもっと見えてくると、パートナーからの問い合わせも増えてくると思うんです。そうするとおのずとこちらとも繋がってきますよね。
例えば、『食のトータルコンサルサービスやっています』みたいな。
江部松商事が何をしてくれる会社なのか?がすぐにわかるようなブランディングを期待しています。
あとは、同業他社はわりとユーザーと直接関わっているイメージがあります。故にこちらにもすぐに問い合わせがきてすぐに動いて商談が成立します。
ところが江部松さんはそれがなかなか難しいですよね。どうしても商流がありますからね。
今後もし食品工場やセントラルキッチンにアプローチするんであれば、チャンネルはどうする⁉といことが課題ですよね。
ここは私では踏み込めない部分ではありますが、その実ここまでお話してきたように、困っている人が確かにいて現場ではどうしたらいいのかわからない、そこには市場が実際に存在しているんです。そこはまさに“ブルーオーシャン”ですよ!
そこにあまり絡めていないのはもったいないと常に思っていました。
令和のこの時代にきて、もしかしたら一つ脱皮する時期にあるのかもしれませんよ。これは燕市の産業全体に思うことです。
見えているところでしか動けていない、わかっていない部分に踏み込めていないと感じています。
来たものに対して対応しているだけではこれからはおそらくダメでしょうね。今後時代は必ずシュリンクしていくわけですから。
繊維の産業はそれを一歩先に経験しています。
そこで変わってきたのが我々です。
金属加工の世界においても同じことが起こりうるだろう見てます。
そのなかで自分たちで変わっていく、変えてく意識がないと私らが30年前に経験した景色が訪れるよう気がしています。
–––––もしかしたら今のお話が私が最後に伺おうと思っていたことの答えかもしれませが、あえてお聞きします。
久太さんが思い描く未来の姿は?
久太さん:会社として扱っているものはどうしても原始的だったり古かったりしますが、やっていることは時代が求めるものにコミットしている、それがしっかり伝わる会社にしたいですね。
食に関することならとりあえず吉田織物に問い合わせておけ、みたいな。
でも所詮我々はパズルの1ピースに過ぎません。
これがみんなで変わって未来に繋がる地場産業になればいいな、と思います。
だってこんなにモノ作りができる町なんですから。(終)
というわけで吉田織物さんへお邪魔してお話を伺ってみました。
繊維業界の厳しい現状が理解できました。
しかしそれに屈することなく、新しいことにチャレンジしながら奔走しているのが吉田織物さんでした。
繊維と金属、それぞれは全く異なるものですが、“食”という大きなフィールドにおいて実はとても密接な関係にあるんですね。
そして久太さんは我々金属加工の未来を心配しています。
しかしそれもこの燕市の地場産業をともに盛り上げていきたい、という思いからなのかもしれません。
正直耳の痛いお話もありましたが、江部松商事ができること、やるべきことはきっとある!と感じました。
確かに課題もたくさんあり簡単な話ではありませんが、会社として更に成長するヒントをいただいたような今回の取材でした。
とにもかくにも、当社の販売パートナー様からユーザー様まで、とにかく”食”に関わる皆さんへ、
『安心安全が担保された吉田織物さんへのチャンネルは我ら江部松商事にお任せください!』
普段のお困り事はそのままにせず、些細なことでも遠慮なく江部松商事にご相談くださいねー!
以上いつもよりチョッと真面目なMr.Kでした。
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